『またの名をグレイス』


時は1843年、カナダ。
グレイス・マークスは殺人罪で15年の服役中にあった。貧しいアイルランド系移民の彼女は奉公先で下男と共謀し、主人と女中頭を殺害したのだという。事件当時の記憶の多くが欠落しており、極刑を免れた彼女はその後、模範囚となって刑務所向かいの監長邸宅で家事手伝いに従事していた。
世間にはグレイスの冤罪を訴える気運が高まり、精神分析を行うべくアメリカからジョーダン医師がやって来る。

実在の事件に材を取った同名小説の映像化である本作はジョーダン医師とグレイスの面談を軸に回想形式で進行していく。同時期に配信されたNetlix製作『マインドハンター』よろしく殺人犯の心理に潜り込んでいく構成だが、同時にグレイスのモノローグも挿入される。シニカルで厭世観に満ちた彼女の語り口からは真実そのままを告げていない事が伺い知れる。果たしてグレイスはおそるべき妖婦なのか、それとも時代の犠牲者なのか。


ドラマはグレイスを演じるサラ・ガドンのワンマンショーだ。
回想シーンの世間知らずな少女時代(おそらく15歳くらいの設定)と、15年後の謎めいた殺人犯を演じ分ける緻密なパフォーマンスは2017年最高の演技と言っていい。時に乙女、時に妖婦とあらゆる表情を使い分け、僕たちは幻惑され、慄く。同郷カナダの鬼才デヴィッド・クローネンバーグ(本作ではゲスト出演)作品で注目を浴びた彼女は元来、妖気に満ちた役柄は持ち役であり、本作ではそこに厭世的なペシミズムをにじませて、原作の持つ男性性への批評精神を体現している。本作最大の見所はサラ・ガドンであり、ついに代表作を手に入れたのだ。

グレイスに魅せられた男たちは運命を狂わせていく。
ある者は殺人に手を染め、ある者は悔恨の念を背負い、そしてジョーダンは日ごと彼女への欲情を募らせていく。謎めいた女に男達が翻弄されていく所謂“ファムファタル”ものだが、物語は事件の真相究明を主眼にはしていない。

原作は今年のエミー賞を席巻した『侍女の物語』のマーガレット・アトウッド。
フェミニズム文学の巨匠が描き出すのは謎めいた美女に“燃える(萌える?)”男性性への批評だ。グレイスは気丈さや可愛らしさ、儚さ、妖しさといったあらゆる表情を相手の求めるように使い分ける。労働的にも性的にも搾取され続けてきたグレイスは男が女へ求める都合の良い願望を満たす事で男尊女卑の時代を乗り切ってきたのだ。

だが、これは過ぎ去った過去の出来事だろうか?
この間、僕は男性がある女性を「儚げな所がイイ」と評している場面に出くわした。だが、僕が知る限り彼女はとても芯の通った人だし、力強い人だ。“女性は弱く、庇護すべき存在”という一方的な思い込み、決めつけの男性優位主義的な思想は今も全く変わっていないのかも知れない。

終幕、グレイスが見せる微笑はいったい何を意味するのか。
誰かの欲望のために自分を偽る事でしか居場所を得られなかった人生の非情。グレイスの青い瞳は時を越え、今を生きる僕たちを見据えている。

『またの名をグレイス』
監督 メアリー・ハロン
出演 サラ・ガドン、アンナ・パキン
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